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専業主夫になって経験したあれこれ。

世の中には、経験してみないと分からないことがたくさんある。

正義という名の暴力。

両親が子供を叱っている時に口を挿んでいく人。

大した事情も分からないまま目の前の光景だけで判断する人。

口を出したことで、あたかも自分がその場を取り纏めたかのような状況だ。

これで子供を助けることができたと思っているのだろう。

 

厄介だ。

気分が良いのは口を出した本人だけ。

叱られていた子供さえも気分は良くない。

子供を助けるために口を出すということは、叱ってる親を責めるということだ。

小さい頃の子供にとって絶対的な存在である親が、いきなり他人に責められる光景を見せられる。子供はどう思うだろうか。

「うるさい親を黙らせてくれてありがとう」と感謝するだろうか。

事情もろくに分からない無関係な人が割り込んで入っていって、問題は解決するのか。

その場の一部始終を見ていたとして、その子の普段の姿が分かるのか?

 

 

少し前に話題となったとあるツイート。

駅とかで、よく子供に「お母さん、もう置いていくよ!」などと言われて親にスタスタ置き去りにされる子供をみたら僕は必ず大きな声で、「捨てられたのか!おじちゃんといい所へ行こう!」と抱き上げます。だいたいの母親は血相変えて戻ってきます。僕は毎回、本当にいいことをしていると思っています。

 

この方はそうすることで親を諫めたつもりかもしれない。

だが知らない大人にいきなり声をかけられ抱きかかえられた時の子供の気持ちは?

そして、その子供が一瞬でも「自分は捨てられたんだ」と思ったら、どう責任を取るのだろう。

その場をすぐ離れてしまう人間に責任など取れるはずもなく、親子をかき回しただけという結果のみが残る。

置き去りにしようとしたのが父親だったら同じように声をかけるのか?

父親の前でこんなことをしたら男は間違いなく殴られているだろう。

 

こういった他人の行動の類は結局、母親を悪者にしているだけだ。

事情も何も分からないまま、その場の状況だけで「母親=悪」と決めつけている。

さらに傍観していたギャラリーもその行動を見た結果、母親を悪者と認識する。

一番厄介なのは介入した他人はその後に関わらないことだ。

子供とずっと一緒にいて、この先もずっと一緒にいるのは、他でもない親なのに。

 

正義というものは厄介だ。

価値観という形で各々の中に存在し、誰かを悪と決めて振りかざす瞬間快感に変わる。

しかし、相手の事を思わない正義は、短絡的な思考で行われる正義はその時点で正義という名の暴力に変わる。

 

あなたの正義は、暴力に変わっていないか。

正義を振りかざす時、一度立ち止まって考えてみて欲しい。

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以上本日はこの辺で。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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河内 瞬@専業主夫 (@syuhu_ha_taihen) | Twitter